富士山に祈る
「あたりまえ」
こんなすばらしいことを みんな なぜ喜ばないのでしょう
「あたりまえ」であることを
お父さんがいる お母さんがいる
手が二本あって 足が二本ある
行きたいところへ 自分で歩いていける
手をのばせば なんでも取れる
音が聞こえて 声が出る
こんな幸せはあるでしょうか
しかし だれでもそれを喜ばない
「あたりまえ」だ と笑ってすます
ご飯が食べられる
夜になると ちゃんと眠れて そして又朝が来る
空気を 胸いっぱい吸える
笑える 泣ける 叫ぶこともできる
歩ける 走りまわれる
みんな「あたりまえ」のこと
こんなすばらしいことを みんな決して喜ばない
その ありがたさを 知っているのは
それを なくした人たちだけ
なぜなんでしょう 「あたりまえ」
この詩は
昨日友人から誕生日のメッセージと一緒に送られたものです
(まだ誕生日ではないけどね)
今朝届いた2才年上の従姉妹のお姉さんの訃報
悲しくて寂しくて残念で・・・
お悔やみに行くとき
どうか安らかに・・・と富士山を仰ぎながら祈りました
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